大使公邸の歴史


大使公邸の歴史

1943年から駐日タイ王国大使の公邸として、またタイ王国の高官や要人の宿舎かつ会議の場として使用されているゴシックスタイルのこの建物は、通り行く人たちを魅了してきた。中世の城を思わせるこの公邸は、美しい日本庭園をはじめとした見事な景観を持つ広大な土地に立っている。

公邸の歴史は第二次世界大戦前に遡る。和歌山県出身の実業家として名声のある濱口一族の一方の雄、十代目濱口吉右衛門(無悶)氏(1883-1945)が1931年に福沢諭吉の養子、福沢桃介氏から現在の東京都品川区上大崎3丁目14-6に2500坪の土地を購入した。そして翌年、洋風現代建築の大家の一人である和田順顕氏の設計と清水建設の建造により、いわゆる“濱口邸”の建設が開始され1934年に完成した。濱口氏は芸術・骨董品に深い造詣を持つことで知られており、優美なインテリアや上質の輸入品を配し、濱口邸は古典的な建築様式と芸術的な装飾を兼ね備えたものとなった。







そして1943年4月10日、当時のタイ王国大使ディレーク・チャイヤナーム閣下が縁あってこの邸宅を100万円で購入、タイ王国大使公邸へと濱口邸は新たな歴史の1ページを紐解くことになる。公邸はその後何度か修復されているが、その独創性と優雅さは損なわれることなく残されている。1952年には大使館の事務所として公邸に隣接して別の建物が建設され、公邸とは2階の廊下で繋がっている。







公邸の1階にある部屋は、それぞれ独自のテーマを持って壮麗にデザインされており、卓越した質と創造性を持つ絵画・装飾品・彫刻などによって飾られている。正面玄関を入るとすぐに大広間があり、その精巧な彫刻を施した壁には、前田寛治画伯による千葉県銚子の嵐の中の荒海を描いた作品が金色の額縁に入って掛けられている。この絵は、1929年に東京都美術館で開催された帝国美術展覧会にて帝国美術院章を受けた傑作である。現在、この絵の絵画的価値は1億円以上とされている。

大広間の隣にある「ルイの間」と呼ばれる部屋は、伝統的なフランス調の装飾が施され、中央にしつらえられたルイ王朝風のソファは、華やかできらびやかなシャンデリアと見事に調和し、大理石の暖炉と共に壮麗な雰囲気を醸し出している。




「ルイの間」の右隣の部屋は、食事会や会議に使用され、イタリア製の赤い大理石で出来た暖炉が備え付けられている。当時日本にはイタリア製の赤い大理石はふたつしかなく、もうひとつは赤坂迎賓館にあった。


2階のプライベートな空間に繋がる絢爛に装飾された階段も、公邸の重厚さと素晴らしさを表している。その階段の踊り場を見下ろすように飾られているのは、大きな額縁に入った絵画で、背中にワインの樽を担いだ陽気な酔っ払いの男たちを描いている。この絵画はイタリアの芸術家によって描かれたと言われており、部屋の落ち着いた雰囲気と控え目な照明がこの絵画の美しさと荘厳さを味わう最高の環境を提供している。

公邸には中国の美術装飾品も多くある。1階の正面玄関には、中国様式の真珠色に輝く象眼細工をした塗りの紫檀で出来た茶卓と椅子のセットが置かれている。




また「ルイの間」と食堂兼会議室の間には精巧に彫刻を施した木製の仕切りがある。公邸に中国の美術装飾品が多く置かれているのは、濱口氏の姪の一人である 嵯峨浩嬢が、満州国皇帝となられた清朝最後の皇帝の弟君である愛新覚羅溥傑殿下のもとに嫁いだためである。ご夫妻は満州国へ移住される前の一時期、濱口邸 に滞在されたことがある。

公邸の後ろ側は、桜の木がある日本庭園と広大な土地により、緑豊かな場所となっている。公邸から庭園に繋がる石段の両脇には、満州の陶磁器製の獅子像が石段を守るように立っている。庭園にはタイ式東屋も建っている。この庭園では、国王陛下御誕生日など数々の行事の際に園遊会が開かれ、招待客が穏やかな雰囲気を楽しむ場となっている。